■舞台「血は立ったまま眠っている」(Bunkamuraシアターコクーン/2010.2)

今更感想。



本作は、つねにそのジャンルを越えた「挑発行為」に生涯を燃やし続けたクロスオーバーの旗手であり、現在も尚、多方面に影響を与えている寺*山*修*司が23歳の時分に初めて手掛けた戯曲である。「一本の木にも流れている血がある そこでは血は立ったまま眠っている」という自身の詩から生み出されたこの作品は安保闘争の時代背景を踏まえながらも、若者たちの憤りや葛藤が瑞々しく描かれた秀逸な青春劇。孤独であるが故に兄弟のように身を寄せ合う若きテロリスト良(森田/剛)と灰男(窪塚洋介)をはじめとする魅力的な登場人物の造形、スピーディーな物語展開と、時代を超え、アナーキーで猥雑な力を放つ。



感想。


1.もりたさんの一人称が「僕」だった(萌)
2.もりたさんの役名が「リョウ」だった(萌)
3.もりたさんの年齢設定が「17歳」だった(萌)
4.もりたさんが横たわっている窪塚に抱きついた(萌)
5.もりたさんが空き箱を蹴ってボコボコにしていた(萌)
6.もりたさんの腕の浮き上がった血管がオトコだった(萌)
7.もりたさんの苦悩の表情がどえらくエロかった(萌)


・・・・以上? うん、以上。


結論から言うと。


わたしやっぱり蜷/川無理ー(白目)


で終わってしまった。嗚呼無情。ちなみに、友は、


わたしやっぱり蜷/川無理ー(黒目で一回転)


とか意味不明なこと言ってたけれど、それ聞いて爆笑してしまうくらい、なんか、漂う虚脱感を振り払うのに大変だった。
蜷/川/舞台にケチ付けるつもりは無い。寺/山/修/司にケチつけるつもりもない。
でも、蜷/川で寺/山(おこがましくも呼び捨て)を、わざわざもりたさんでする必要あったのかなぁ、と思う。

窪/塚を慕うもりたさんは、己が何者か分からず、葛藤し模索する役だ。端っこにいても、ついつい目が行ってしまう「赤レンジャー気質」のもりたさんが、自我を殺し、一生懸命迷える少年「リョウ」を演じていた。でも、完全には殺しきれない、彼の持つ「強さ」が時折垣間見えて、どこかちぐはぐな感じがした。
わたしがよく言う「資源(もりた)の無駄使い」とまでは言わないけれど、別にこの舞台、もりたさんじゃなくても良かったよなぁ、と思う。
というか、コレをもりたさんにさせようと思った蜷/川ってのは、正直、センスがあるんだか無いんだか。もりたさんの新しい一面を引き出そうとしたのなら、まぁ、チャレンジ精神は買うが、成功とは言えないと思う。(何て上から目線!)


ま、これまでが良すぎたんだ。
初舞台が主役で、青/劇で、新/感/線で。二度目の舞台も、新/感/線からのご指名。脚本も、両舞台とも、もりたさんを主役に見立てたあて書き。
これまでが良すぎたんだ(2回目)。
まあ、今回もご指名ではあるけれど、脚本があて書きじゃない上でのアレだから、もりたさんは精一杯がんばっていたと思う。もりたさんは、やれることを全てやっている気がした。でも、基本が合ってないから、ダメだったんだなあ。と思った。(偉そうにスミマセン)


ちなみに数年後、きっと覚えているのは、もりたさんというより、しのぶの口から出てきた、あの赤いベロからビローンのテープだけだと思うの。アレで、久しぶりに、声無き爆笑しちまった。*1
つか、究極言うと、「しのぶ18歳。白いワンピース」が全てをぶち壊している気がした。無理てー。しのぶが18歳は、無理があるてー(コラ)。
と、そういうとこも含めて、



わたしやっぱり蜷川無理ー(白目)



とシメてみる。

*1:ちなみに昔の、准坊の蜷/川演出の舞台についても、ほとんど記憶が無い。おおたけしのぶさんが、准坊を抱きしめ「愛しい弟よー!」と叫んだトンデモシーンと、その時、ぺローンと出ていた准坊の片方のビー☆クくらい。って、こんなオンナでスミマセン(土下座)