そこじゃないとオモウケド。

みょーじょー8月号。
圭人について、ずっと、「この人、英語だとあんなに流暢に、しかも感情豊かな表現で話してるのに、どうして日本語になるとあんなにゆっくりと淡々と話すんだろう」と思っていたら、みょーじょーに答えがあった。
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「パッと思いつく言葉ってほとんど英語なの。それを頭ん中で訳して、日本語で話してんだ」
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なるほど。それで全てが解決。「焦った時、バカとかなんとか、圭人の言葉が悪くなる」てのも、そういうことなんだろう。焦るとうまく日本語を組み立てられず、バカとかなんとかになっちゃうんだろう。「ウープス!」とか「おーまいがっ!」が汚い言葉になっちゃうんだろう。ああかわいい。


そして前述の理由で、「時々失礼なこと言ってる」というのもすごくよくわかる。英語てのはとても直接的だから、思考回路もまず「DO」か「DO NOT」になる。それを日本語に訳すと、とっても失礼になる。私はサービス業なので、思考回路が「CAN」か「CAN NOT」になり、「出来る」か「出来ない」だけになる。「I'm afraid」も「いたしかねます」というスーパー表現には遠く及ばず、何度もトラブルになったことがある。
と、このみょーじょー対談でこだわるのはそこじゃないだろ、ということを書き倒したところで。


ゆとりょうの対談にリアルに涙ぐんだ。なんか、積み重ねた歴史って、若いとか年を重ねてるとかそんなの関係ないんですね。そして、ここは絶対、他人が口を挟んではいけない領域だと思った。知った。悟った。
それはある意味とても剛健的。(私個人の意見としては)ヲタは、二人の関係性に意見を持つことすら邪道。ヲタにできることは、二人の関係性をこれからもただただ見守るだけ。(そして萌えるだけ。)
どうしよう、ネオ剛健見つけちゃったかも。こうしてまた、私の妄想のネタが一つ増えていくー。