老いては子に従え。

散々書き倒してますが、これを友に話したら「それは価値観の問題だと思う」と一言でばっさり斬られた、ということを申し添えます。笑。



震災報道を見ていて、現地の小学校を卒業した子供達が、20歳になったときの自分への手紙を読み上げていた。
それは、「すごい地震があったね」という言葉は当たり前なんですが、しばらくすると「夢だったケーキ屋さんを開く準備はしてますか?」「幼稚園の先生になっていますか?」とか、純粋に将来の自分に語りかけていて。
なかでも、一人の少年が心に残っている。地震のことも早々に「プロ野球選手にちゃんとなってますか?首位打者を取れてますか?」と手紙を読み上げる少年が居て、少年を取材していたテレビ局の記者が、少年の隣でメモを取っていたスポーツ新聞の記者をして「隣にスポーツ新聞の記者さんがいるよ?」。すると、スポーツ新聞の記者も「君が首位打者になったら、絶対に取材に行くよ」。それを受けて少年「ハイ。よろしくお願いします。」と。
その状況が妙にコミカルで、ここしばらくテレビを見ていても、悲嘆にくれる気持ちと、それでも頑張っていらっしゃる姿に感動するだけだったのが、久しぶりにテレビを見て笑ったなぁ、と思った。
それは、スタジオでも同じだったらしく、その時、みのだったか、おぐらさんだったか、みやねだったか誰かが
「大人は経験値があるから、将来に対してまだまだ不安ばかりで夢や展望なんて見えないけど、子どもは経験値がない分、(当然悲しみはあるけれど)、比較的早く気持ち的に復活して、夢や希望を持つことが出来るのかも」
とか言った言葉が印象的だった。なるほどなあって思っていた。



翻って。
わたくしは、結構な年数をじゃにヲタとして過ごしている。ぶいしっくすのでびゅーには立ち会えてないけれど、あらしのでびゅーの時は既にヲタだった。ヲタ年齢はかなり高く、ヲタ年齢という観点で見たらもう、ぶっちぎり中高年だと思う。もしかして、ばーちゃんかもしれない。ソレゆえの経験値もかなりある。
だから今回、その経験値に基づくと、早々にJで震災ぷろじぇくとが立ち上がると聞いたときも、正直「はい?」って感じだった。
Jふれの記憶がよみがえるからだ。
そもそもJふれが結成されたのも震災から3年後だし、正直わたしは、JふれのCDを買いながらそこに「チャリティに参加している」と思ったことはなかった。
震災後時間が経っていたということはもちろん、そもそも曲を出せば、なんで誰くんの立ち位置がセンターじゃないの?だ、誰くんのソロが多すぎる!だなんだ、ヲタ同士が喧々諤々としているその状態は通常の活動と何も変わらず、Jふれに関しては「お金の行き場が違うだけのヲタ活動だった」と今でも思っている。


だから、今回震災ぷろじぇくとを立ち上げると聞いたときも、その経験から、今はまだその時期じゃなかろう、と思った。実際、震災ゆに(この言い方もどうだか)に「じゃんぷからはAくんとBくんだけ入るらしい!」とかいう噂も聞いて、ほら始まった・・・と思った。
「じゃにヲタは自担が絡むと人間じゃなくなる」というのは友の名言だが、そのじゃにヲタも、今は自担がどうこう言ってる状態ではなく、人間としてちゃんと、被災地の方を想い募金して、自分に出来ることをするべきじゃないか、と。まだエンターテイメントが求められているときではない、じゃにーずの出番はもう少し後、現地が復興し始めて、例えばコンサートが開かれたなら、そこで猛烈な勢いでお金を落とせばいいのではないか、とそう思っていた。
更にイベントとなると、数々の無計画としか思えないが故に中止になったイベントが脳裏に過ぎり(にゅうすの握手会とか。万単位で人が殺到して「こんなに集まると思ってなかった」から1時間で中止、とか。)、ホント、そんな今代々木でパニックを起こしてる場合じゃなかろう、と。
その想いは旧友じゃにヲタは皆同じだった。だから、旧くからのヲタ友は皆、イベントにドン引きし、実際誰も参加してない。


初日に10万人が集まったと聞いて、それはもう、過去を知らない新しいヲタの方々が大部分を占めてるんだろうなぁって思った。いわゆる、ヲタ年齢の若い方々。てか、そもそも、こんな老兵(!)はもう、ヲタの中では稀有の存在で、半分以上(根拠ないけど8割とか?)はJふれ活動に参加したこともない、下手すりゃ「Jふれ」も知らない人々で占められてるんだろうな、と一抹の寂寥感も覚えていてた。
そもそも、今のじゃにーずはヲタ年齢の若い方達に支えられていて、それが耐えられないなら老兵は去り行くのみ、なんスけど。実際多くの旧友は去っていて、でもわたしはじゃんぷヲタになっちゃったから、去り行くわけにも行かず。
でも老兵なので、本当に参加する気は無かったのだけど、岡本親子に釣られてうっかり参加してしまった。でも、参加して本当によかったなぁ、って思った。「チャリティ」や「現実を取り戻せた」ということに加えて、こんな状況で、だけど、自分の立ち位置が確認できた。
老兵はもうしょうがない。記憶喪失にでもならない限り、得てきた経験を捨てることは出来ない。それに、ぶいしっくすと一緒に駆け抜けた10年は後悔してないし、(年齢的にも)本当に自分はかみせんと一緒に大人になったと思っている。でも、だからいつも経験に基づいて穿った見方をしていたけれど、今回のイベントは、昔なんて知らないから経験値もなく、だから(ある意味何の疑問も持たずに)参加できた多くのヲタの皆さんにより成立したイベントだと思う。
結局、過去の経験値により穿った見方をして色々心配していたけれど、パニックも思ったよりも無かった。「今はその時期じゃない」と穿って参加してなかったら、もしかしたら後悔していたかもしれないなぁ、と。色々考えるよりも、行動してみるべきだな、と。そして、老いては子に従え、だなぁとしみじみと思った(笑)。


と、ちょっと支離滅裂なところはあるけれど、上記のようなことを友に熱く語ったら、「うーん。でもそれ(このイベントに対する是非)は、結局、価値観の問題じゃない?」とバッサリ斬られたりもしたのですが。笑。
でもとにかく、それにより、ヲタが喧々諤々始める状態はどうかと思うけど、今は、この時期から始めた震災ぷろじぇくとに賛成派です。この様子だと、今年のかうこんにはすまっぷも参加しそうで、それを考えるとクラクラするけど、でも、Jふれと今回は違うんだろうなあって思ってます。だから、「老いては子に従え」で、フラットな気持ちで臨もうと思っています。はい。